昭和五十一年十一月二十四日 朝のご理解
                              松永享四郎

御理解第二十二節
「天地金乃神といえば、天地一目に見ておるぞ。神は平等におかげを授けるが、受け物が悪ければおかげが漏るぞ。神の徳を十分に受けようと思えば、ままよという心を出さねばおかげは受けられぬ。ままよとは死んでもままよのことぞ。」


 十二分の徳を受けた方達、所謂大徳を受けた方達は、何が一番判っておられるかと云うと、神様のおかげを頂かなければ立ち行かんと云う事を本当に判った人達、皆さんに話しますと、私でも判っとります、私も判っとりますと云うでしょうが、判っていないです。 もう神様のおかげを頂かなければ立ち行かんのだ、それが愈々本気で、自分の我を取り、我情我欲を離れて、と云う信心修行をしっかりさせて頂きませんと、それが判りません、それが、お話を聞いて、この神様のおかげを頂かなければ、人間だけではありません、もう一切、生きとし生きるものすべてが、立ち行かんと云う事を判るのです。
 そして、まあ断片的には判っておるですけれども、どう云う事、どう云う中にあっても、この神様のお働きの中にあると判ると同時に、この神様のおかげを頂かなければ立ち行かんと云う、いわば神様に対する、もう心からの信頼感とね、だから、この神様のおかげを頂かなければ、立ち行かんと、だから、少しでも良い立ち行きを頂きたいと思うから、もう仇や疎かには出来んのです、すべての事が。
 成り行きを大事にせなければおられない、すべての事柄の上にも、御の字を付けねばおられない、どんなに些細な事と思うておった事でも、仇や疎かに出来ない、神様のね、この神様のおかげを頂かなければ、立ち行かんと云う事が、本当に判った人の行き方もそうです。
 判らんから、それを例えば修行と思うて、行じて行く、行じておる間に、成る程、成る程と合点が出来て行くのですね、私の信心も初めの間は、あらゆる様々な修行もさせて頂いた、それこそ、火の行、水の行、人がしたと云う行なら、一通りは何でもさせて頂いた、けれども、それでは、本当のおかげに触れられなかった。
 そこで、考えたのが、私の上に起きて来る一切の、例えば出来事と云うか、事柄をです、それを修行と思うて受けますと云う信心が続けられたんです。
 ですから、成り行きを尊ばにゃんとか、成り行きを大切にせんならんとか、御の字を付けて頂かんならんと云う事ではなかったです、私の場合は。
 あらゆる修行をさせて頂いて、本当な事になって来ないから、もうそれこそ、どんな修行でもさせて頂かんならんと思うとりますから、私の上に起きて来る一切をです、修行と思うて受けましたよ、どんなにはがゆい思いをする事であっても、それを修行と思うて歯を喰いしばって我慢をする、どんなに理不尽と思うてもです、初めて、例えば、私に、会うた人がです、金を貸して呉れと云えば、あるだけの金を貸してやった、お金を呉れと云う人があるならば、お賽銭箱をひっくり返して上げた、ね、成り行きを大事にするのじゃない、その時の私も、やはり修行と思うてさせて頂いた。
 もうそれこそ、棒にも箸にもかからんごたる、病人を連れて来て、それこそ置き去りにする様な事で、椛目のお広前一杯が病人と云う時代がありましたよね。
 これは、私がもう受けると決めたから、そげな病人は困るばな、こげな年寄りのしかも、目も見えん盲人ば、とても、私には、そげな事は出来んよと云うてもよかけれど、受けると云う気になったから、受けたんですね。
 12歳にもなる子供が、こうして抱える位なのに、子供を小児結核で、もうこげんして抱えるごと小もうなっとる、北野の木賃宿に、親子で泊まっておると云うのです、そして、木賃宿から追い出されよるから、可哀想だと云うて、古賀さんと云う人が連れて来ました、それも受けて、もう私は、その時分の事を受けて、そりゃ困ったなとは一つも思わなかった様です。
 なぜかと云うと、修行と思っとるから、皆さんも知っとんなさる通りですたいね、昔からのご信者さんなら、そりゃ困るばのと云う事は一辺も云うた事はなかったです。
 これは、皆さん何辺も聞かれた話しだけれども、今日のご理解を通して、そのご理解を話した、聞いて下さると判るんです、今、成り行きを大事にせんならんとか、尊ばねばならんとかと、小さい事からでも、仇や疎かには出来ないと、所謂、合楽理念に立脚して、合楽の云わば理念と云うのが、おかげを頂く理念でもあります、ですから、どうでも、一通りマスタ-しなければなりません。
 それで、受けて見ようと思うても、中々難しいから、向こうに押しやろうとする、云わば、どう云う事になるかと云うと、成り行きを願うと云った様な事が、一つ増えると云う事になる、私が受けられる成り行きを願い、成り行きを尊び、成り行きを大事にすると云う事になる。
 だから、それでも良いと私は云うているのです、又、それの方が良いかも知れません、私が、4年半、この行き方で、受け続けさせて頂いたのは、丁度ホ-レン草を食べる時に、畑から引っこ抜いて来て、もうそのまま、ヒゲが付いていようが、赤い枯れた葉が付いていようが、もう頂きますと云う限りは、もう、根も葉も頂きますと云う行き方で行ったと云うのですから、神様は、これからは、洗うところは洗え、摘み切るところは摘み切って、滋養になるところだけを、頂けよと、頂いてからの4年半修行を続けてからの事でした。
 そして、初めて判った事が、これを成り行きを大事にする、成り行きを大切にする、とその当時云ってましたです、そして、その成り行きを大切にする事、その成り行きそのものが、神様だと判った時の、私の心の中の、それこそ、はじけるごたる喜びです、成り行きそのものが神様、神様を大事に拝みました。
 そりゃもう、私位、神様を大事にした者はなかろうと思う位、神様と皆さんをご承知の通り、大事にさせて頂いた、もう、それこそ、お三方なんて、1分1厘こうやってよごうどる様な、お三方様をご神前にお供えしている事は、1つもなかった。
 もう、いつも何か一杯お供えがさして頂いておった、だから、そう云う祭り上げると云うか、神棚の上に上げる八足の上で、拝ませて頂く神様と云う風に、尊ばせて頂いておった事も、大変有り難い事でしたけれども、その働きそのものが、神様の御働きであると判った時の喜びと云うものは、もう本当に真の信心は、ここ、これだと、私は、その当時から云うて来た訳です。
 真の信心、真の信心と云うけれども、真の信心を説く人が、真の信心を頂かなかったら、おかしいと、私は思うです、真の信心をさせて頂く様になったら、所謂、真のおかげが、当時の椛目に、これは今から思うて、どう云う椛目の時代であっても、もういつも、神様の御働きには恐れ入ってしまうと云う、恐れ入った毎日でした。
 全ての上に、今の様に沢山のご信者がある時に、恐れ入るのが当然の事ですけど、私は、もう一番初めから、そう云う、所謂恐れ入った、恐れ入った事ばっかりと思う様な事ばっかりでした。
 まるきり、大坪総一郎一人の為に、天地の親神様が動いてござるとすら思うておった、私が、外へ出ると、暑い炎天の中に、神様が、それはもちろん久留米まで炎天の中を歩かせて頂いておる時に、あれは丁度、旗崎の近所じゃったと思うです、丁度、家の影のところを、こうやって歩いて行きよったら、楽をしたいと思う心は、堕落する心ぞと、神様が教えて下さった。
 だから、真中を通らせて頂く、丁度、椛目の宮崎さん方の倉の二階に、左官さんが来とった、そして、炎天に瓦をどうか扱いよった、とてもあれと見て見れ、とても下は瓦で焼けるごたる所でも、仕事であればやっとるではないか、と云うてお知らせ頂いた事もあった、かと云うと、なら、今日は北野まで、お話に行けと云われるから、出て行くと、今日は暑い思いはさせん、と仰有ると、神様が、ず-っと雲がね、低く影を作って行くんです、私が、ず-っと北野に行くまで、おしめりがあっておる、ああ段々降って来たなと、もう私の何尺うしろまで、降っとるけれども、私が歩いて行くだけしか、おしめりがなかった、家に着いた途端にジャ-っと降り出した。
 もう後何尺のとこ降りよる、夏の雨はそんなですからね、だから、それで、濡れると云う事もなかった、と云う様にです、その時分から、本当に神様が、私一人の為に働いてござるとじゃろうかと思う位に、感じておったから、いつも恐れいった、云うなら日々でした。 皆さん、どうぞ、私が、今どうでも合楽理念に立脚してと云う、合楽理念と云う事が、様々の事が起こって参りますけれども、皆様も、様々な修行をしたいと思うておられる方も、沢山おられるだろうけれども、今の合楽では表行と云う事を、もう、絶対廃止しましたから、水をかぶったり、火の行やら、断食だと云う事は、もうそげな事するな、もう、合楽には参らせんと、私が云うとる。
 そこで、ここで、どうでも一つの心行がなからにゃいけん、心行と同時にです、起きて来る一切の、私の上に起きて来る事は、それは、そのまま神様の働きだからです。
 それを合掌して受ける事を一つ修行と思うたら、不思議と楽です、火の行や、水の行に匹敵する以上な修行が出来るごとなるのですから、だから、自分の上に起きて来る修行を本当に合掌して受ける、これを、いっちょ自分の修行にしようと、こう腹を決めたらです、私が自分の事を思うて見て、難儀だなとか、困ったとか、思うた事が絶対なかったです。
 私が、その気でおるから、家族中の者も、皆その気でおったと云う事です、今から考えて見て、不思議な位ですけど、本当でした、あなた、こげな病人ば預かってどうするですかと、家内が云わなかったです、所謂あの盲目のばばさんを預かった時なんかは、家内がず-っと、洗眼から、御飯の世話まで家内が、なんからかんから世話しました。
 もう家には子供がいっぱい居る、手を取るのが居りましたけど、信者の世話は家内が一人でしました、それでも、不平不足を云う事は一辺でもありませんでしたね。
 絶対の道、それは、絶対信、神様を絶対信ずるところから、絶対の道が開けて来るです、その神様を信ずるところからです、この神様のおかげを頂かなければ、それこそ、立つ事、しゃがむ事、皆さんがお参りしとるけれども、お参りする事すらも、この神様のおかげを頂かなければ、出来る事ではないと判った人は、絶対お徳を受けるでしょうね、だから、神様をそれだけ、本当に判った、だから、仇や疎かに出来ない訳です。
 今日は、私は、いつも云い古した言葉ですけれども、ここのところをね、この神様のおかげを頂かなければ立ち行かんのだと、判ったら仇や疎かには出来んです、知ってはおるけれども、実際には判っていないから、生活が乱れたり、云うなら、ろくそな事をしたりと云う事になるのです、しかも、それが有難うして有難うしてと云う事になるのです。
 ゆうべ、月次祭が終わってから、もう寝もうとしよるところへ、秋永先生がやって来ました、まあ、いろいろお話をさせて頂いたんですけれども、秋永先生、もうどげな場合であっても、大坪総一郎一人の為に、神様が働いてござるごたる気がするがのと云って、まあ、いろいろの例を取って、話した事でした。
 昨日、東京の常磐台教会から、あかしと云う本を送って来た、これは、泉尾教会の二番目の息子さんが、東京に布教しとられる、そこから、何か月おきに送って来るご本です、それに、いやそうでございませんでした、ごぶれい。
 桜井源吾先生のところの「やつなみ」でした、これも来まして、それを読まして頂いておったら、ブラジルのサンパウロから、また、一昼夜位、車で走らにゃならんと云う様なところに「ビルグイ」と云う教会があります、ビルグイもう随分昔から出ておられるけれども、その息子さんが、この桜井源吾先生から、教旗を送られた、そのお礼の手紙を、その教会の息子さんが出しておられるのです、それは、永年もう、こちらに布教に出て直ぐ父が亡くなった、それで、信心も判らない母が、細々と教会を守っておるけれども、余りにもみじめで、見てはおられんと云う事が書いてある、人が助からんと云う訳です。
 勿論、だから、息子さんは他の仕事、お菓子屋さんか何か、してあるそうです、先日、これは、ご本部で聞きました、此処に今度、末永先生が行くのです。
 もう、新聞紙上で発表される事もなからねば、ビルグイなんて、初めて聞いたところの、そこの云うなら、内情とか、そこから、どうでも、教師を派遣して呉れと、どれだけ云われたか判らん、判らんけれども、誰もそげなところに行く事がなかった、だから、今度、そこへ先生が行くのは、所謂、本部から、派遣の教師として行くのです、派遣される訳です。
 私は、これを見てから、本当にそして、そして、他の宗教は皆、発展しとると云う事が書いてあります、だから、本当に、私は、日本人相手じゃなくて、私はお願いさして貰いよったら、高見山のあの姿を頂いた事があるです、ハワイの人間、ハワイの土人ですけれども、やはり、日本であの、云わばあんなに強い相撲取りになっとる様にです、強い相撲取りと云う事は、力を受ける、徳を受けると云う事です。
 あちらのブラジル人がです、の原住民の人達が、末永先生のお取次ぎで助かって、そして、ブラジル全土に、ブラジル全土じゃない、南米全土に布教も出来る様に願い、祈りを、私は持っておりますからね、もうそげな事は、何十年経つとってもね、それこそ人も助からんと云った様な教会でも、細々とおばあさんが守っておられると云う、その教会がある事は、私は大変有り難いと思うたがです、今、合楽でその事に取り組んでおるところへ、初めてこのビルグイ教会の記事が載っておると云う事が、私は、昨日秋永先生に、もうこう云う事なんか、合楽の為に、大坪総一郎の為に、世界が動いとると云う事を、私は感じるよ、と云うて話した事でした。
 栄四郎が、大阪の方へ、もう十何日、あの娘は何というか、あのう、千鶴さんと云うか、大阪の片江教会、あちらから、栄四郎を養子にでも欲しいと云う訳です、記念祭だからと云うて、それでも昨日帰って来る筈でしたけど、あちらのお母さんから、もう一日泊めますからと云うて、電話が掛かって来たと云う事です。
 息子さんは、何人も居られるのですけれども、教会の後は取らない、一人娘ですから養子、だから、私は思いよる事ですけども、例えば、養子にはやらん、そりゃ、嫁ごとして貰おうけれども、そして、後を立てて、手がないならば、暫く向こうを見てやって、また、弟も一人居るそうですから、弟に教職を取ってその後を継がせて、そして、幸いな事に、あちら大阪、これはまだ見ぬ先の事ですけどね、私は、大阪にはどうでも出したい所です。
 もう、本当に一辺、玉水さんと、阿倍野やらにはね、一つこう立ち向かうて見たいと、そんな意欲を持っている訳です、だから、大阪と云う所は魅力の所だし、東京もやっぱり、そうです、そこで、東京にはどうでも、うちの修行生、誰かが出さにゃいかん、今日その事をご祈念中に考えよったら、はあ、これは、順子さんが、東京へ出るごとなるか知れんと思った。
 あんな風ですけども、お徳さえ受ければ、人は助かるのですから、だから、少し霊徳を受ける素要があるのです順子さんは、それでね、器量は良し、綺麗にこうやって、何とか姫とか云うのが、居ろうがの、いえ、ほんなごとお徳を受けりゃ、どがしこでも、それこそ、甘いものに蟻がたかって来る様に来るですよ。
 こりゃ、あの、私の夢ですけども、そう云う事も今朝のご祈念に考えた事ですけど、私は、栄四郎をどうでも見てがない間はあちらを見ておってもよいけれども、云わば、大阪に居る間に、何か良い場所でも見つけてでもですたい、大阪に合楽の出社をどうでも作りたい、そう云う事からこう思いよるとです。
 なら、あの人達が、未だ若い、20歳そこそこで、しかも、学院で恋愛をして、そして、貰うの貰わんのと云った様な、そんな問題、だから、私はこんな問題一つどうのこうのとは申しません、もう神様のおかげですから、そして、段々考えて行くとです、やっぱり、おかげにつながるごたる感じがするのです。
 栄四郎は、どうでもあれは、商業学校出ですからね、あん奴は、あん奴ちゅうてから、ですから、大阪には持ってこいですもんね、大阪は商人の町と云われる、だから、合楽教会は、将来はそう云う風にしたいと云う様な事でも、もう本当に合楽の為に、なら、栄四郎が、千鶴子さんと知り会った事でもあり、まあ、向こうとしては、ご両親と云う先生は、大変立派な先生です、ご本部の講師をなさっとられる先生です。
 教会も立派な教会です、だから、そりけんと云うて、そこにやろうとは思わない、でも、そこを、見てあげる間は、見てあげるけれども、時期が来たならば、大阪に合楽の修行生をどうでも作りたい、と云う願いを持っておりますから、考えて見ると、私を中心に神様が働きなさる、子供達を使われておる、例えば、末永先生でも、使われておると云う印をです、例えば、昨日見た本の中からでも、それを感ずるのです。
 本当に、私一人の為にすべてがあるんだと、そう云う実感が頂ける様な信心、それは、この神様のおかげを頂かなければ立ち行かんと云う事を判ったら、もう本当に、この神様のお心に添わなければおられない様になって来ると、如何にこの神様のおかげを頂かなければ、出来る事じゃないと云いよるけれども、それが出来ていないならば、この神様のおかげを頂かねば、立ち行かんと云う事を、まだ、本当に判っていないんだと云う事を、皆さんが判らにゃいかん、それが判る事の為にです、愈々成り行きを大事にせんならん、尊ばなければならんと云った様な事では、なかなか出来ませんから、私が数十年前に、それを、修行と受け様と思うたら、楽だったと云う事です。
 今は、合楽教会では、火の行、水の行と云う事はないから、起きて来るその事から、それを、自分で求めて行く事ではないです、起きて来る事柄を合掌して、受けて行こう、三宅先生のお言葉から、頂くならば、それを鮮やかに頂戴して行こうと云うのである。
 親が、毒な物を食べろと云う親は居らん、親の呉れる物に、そつな物、無駄な物はないと、観念しておられる、そこに一切を有り難く受けて行かれたと云うのですよね。
 だから、一つ今日を境にですね、皆さん起きて来る事をね、ああ、これを成り行きとして大事に受けて行かねばなりめえばってんから、てんなんてんじゃなくてね、もう今度は、その起きて来るその事柄を、云わば修行と思うてね、もう信心に修行は付きものですから、修行と思うてそれを受けて行く、修行させて頂く間にです、愈々、成る程、この神様のおかげ頂かなければ、本当に立ち行かんのだと云う事が判ります。
 そこが、愈々判らせて頂いたら、云うならば、死んでもままよと云う様な心の状態が開けてまいります、事柄一切を、御の字を付けて頂くとか、とかと云う事は自分の小さい我どんがあって、受けられる事じゃないです。
 金を貸して呉れとか、もう我欲があったら、これが、引っかけでもするならと、引っかけるとか、引っかけんとか、私があの当時、金を貸して呉れと云う人が、一人でも返して来ないと云う事実が、あの、だから、貰おうと思うて貸しよるとじゃないもん、だから、もう、無条件ですね、そこに、昨夜から申します様に、自分の我情と云うか、我欲が、と云うかね、それを一般では、我を取るとそう云う、我を取るのなら、どうでもよいと云う心が、必ず開けて来る。
 我を取ったらどうでもよいと云う心が開けて来るのです、死んでもままよとは、その事です、そして、そのどうでもよいと云う有り難い心でです、云わば、小我を捨てて、大我に生き抜けと云う事になるのです。
 自分中心でなくて、いつも、神様中心に行けと云うのですね、今日は、皆さんどうでも、合楽理念のマスタ-と云う事が云われますがです、やっぱり自分がそれを行じなければいけん、だから、起きて来てから、さあ、こればどうしょうかと云う事では、駄目ですから、今日を境にです、修行と思うて受けると腹を決めるんです。
 もうこれが、受ける腹が出来たらね、私は、神様が、お試ししてあったな、力を付けさせて下さったんだなと、思わせて頂く事は、あの、4年半椛目の信心が続いて、4年半からこっち、病人を預かって呉れと、云う人は一人も半人もなかったです、皆さんご承知の通りですよ。
 だから、如何に病人とか、金借りとか、金貸して呉れと云うのがです、云わば、神様の御都合であった事か判るですね、ですから、そこを頂き抜かせて頂くところからです、この神様のおかげを頂かねば立ち行かんのだ、もう立つ事でも、しゃがむ事でも、この神様のおかげ頂かなければ立てんのだと、判る時に、お礼を云わにゃおれん、御粗末の事は出来ん、今云われるところの、為せば成る事を、子供でも、為せる事を、為し得ぬ事と、疎かにする事はないのです、だから、まあ云うなら、私は、ここ何十年間、その事は自分が取り組んだ事じゃないけど、神様が判れば判る程、なら粗末な事も、して来なかったと云う事も、よい訳です。
 只、皆さんが出来ていなかっただけです、私も、勿論厳密に云えば、云うならば、もう以前から、合楽の信心は、完璧の信心に入っておったと云う事なんです、私一人の信心の上に於いては、それを改めて気付かせて頂いて、いや私だけではない、皆が完璧の信心に同乗せなければならん、便乗しなければならないから、日々聞いて頂いとる様な、自分で為そうと思うたらです、難しい事なら、出来んでも仕方がない、けれども、為そうと思えば、子供でも為せる事をです、例えば、朝のご祈念なんか、なかなか睡うして、時間に間に合わんじゃった事もありましょう、けども、例えば夜のお月次祭なら、お月次祭にですよ、時間に遅れてはならんと決めたら、誰だって、子供だって出来るでしょう、心掛け一つで、晩に寝とる者はおらん、八時に来にゃんとば七時半に来たって、来ようと思えば来れるでしょうが。
 昨日、初めて総代さんどんが、男の人達が4人、そこに前に座んなっとったんですが、私は、本当にそれで非常に心強い感じがするですね、総代幹部は勿論の事、ここで朝参りされる様な方達ならばです、本当にお月次祭の時間に遅れる様な事は、これは、子供でも出来る事を、疎かにしておる事です。
 そうでしょうが、そりゃ、つういっぱいのご用があって出来なかった、それは別です、そうでしょうが、けども、今夜お月次祭じゃけんと、思うたなら、なら七時半に合楽に着く様に、思うたら、思うて行ずる事だったら、子供でも出来る事ですね、昨日も申しました様に、親教会の記念祭、百名は此処からお参りする事になっとるから、私は、毎日何人位お参りがあっとるのと聞くばってんが、未だ、誰も申し込まん、こがしこ、私が云いよるとに、簡単にもう心では、参ろうと思うとる訳です、皆は、けど、いつでんよかよかと思うとるのです。
 ご本部参拝でもそうでしょうが、ギリギリにならなければ、申し込まん、金は持って来んと云った様な、もうやろうと思えば、その場で出来る事を、疎かにしてはならんと云うのが、この、合楽の新しい信心なんです。
 だから、そう云う信心をして、その土台となるものが、今日、皆さんに聞いて頂いた、なら、合楽理念をマスタ-する、皆さん判っておられるのだから、それに取り組んでも出来んと云う様な感じですが、それが出来ないと云うのではなくて、それを修行で受けると思うたら、それが楽に出来て来たから、出来ると云う事なのです。
 合楽には、もう他の修行はない、それを、修行と思うて、一つ今朝から、おかげを頂かれて、そして、愈々完璧の信心を頂いて、昨日から、頂きます様に今度はどうでも、神様が、ある意味で、特に金銭のお繰り合わせと云う事について、大変な神様が意気込んでおられると云う事なんです。
 金の扇が広がった、シャリベン太郎が今も行くと云うあのみ教えを頂いた、千円札ですかね、万円札ですかね、聖徳太子の、髭の生えたと(テレビコマ-シャル)あれが、自転車に乗ってから、テレビの中でず-っと走って来るとがあるでしょうが、あの情景を頂いたんです。
 だからもう、皆さんの中にも、万円札が飛び込んで来るごたるおかげが頂かれるんです、絶対だから、親先生の云いなさるとじゃけん間違いはない、と頂いて、云うなら、おかげを頂かなければならないと、そう云う受け物に、受けて行かにゃ、それこそ、シャリベン太郎が、また、とう逃げて行くですよ、本当なごて、だから、昨日、私は、井上さんの例を申しました様に、知らずに我流で、植えたときには、もうちょこっとばかりしか出来なかった薯がです、こげんして植えなさい、こげんして、生々しいとば植えなきゃ、芽が出らんと思いよったのと、何日も放っからかしてね、置いてから植えなさいと云われて、云われた通りにしたところが、たまがるごと薯が出来たと云う様にです、我流ではいかん、習わにゃつまらん、本当に作る事が出来ると云うか、本当におかげを頂いとる、私が、云うとじゃから、間違いないでしょうが。
 おかげを頂いて、こげな風にしたらおかげになると云うとじゃから、こげな風にせじゃこて、ね、そして、只、お願いします、お願いしますと云うて、頂く信心、それは、お願いします、お願いしますで、あの、初めて参って来ると云う人達は、おかげを頂きますよ。 今日も、子宮癌で退院のおかげ頂く人が、今日お礼に出て来るごとなっとります、熊谷さんの妹さんです、もうこの人は死を待つばかりじゃけんで、毎日毎日極楽するごと、お経ばかり読みござった、それを、熊谷さんが、行って丁度大祓信心が始まったときでしたから、大祓の本を持って行った、毎日毎日お話しに行かれた、そして、この大祓信行しなさい、お経じゃ寂しゅうなる、本当仕舞えてしまうばの、と云うて、おかげ頂いて、私はもう本当それから聞かんので、もう、死にんなさったかと思いよった。
 そしたら、昨日退院して帰ってから、電話が掛かって来た、熊谷さんところに、合楽にお礼に行きたいと云うので、姉さん連れて行って下さいと云いよりますから、昨日の言葉で、明日お礼に出て来ますからと、云うお届けがあっとります。
 だからもう、大祓信行なら大祓信行をでも、私は、皆さんに本気でやんなさいと云うたって、したりせんじゃったりと云う事では、おかげを頂く筈はなかじゃんですか、なしじゃないですか、例えば、合楽の変わり変わりにです、この信心から、この信心にと変わって行く、その変わって行った信心の真似かただけでも、就いて行くと云う信心姿勢を示して行かねばなりません。
 そして、本気でおかげ頂いてです、それこそ、シャリベン太郎を受けとめて行かなきゃいけません、ほら、神様の前に、大黒様です、あれは熊本製の大黒様ですよ、熊本のご信者さんが、2.3日前参って来てから、丁度、そのシャリベン太郎じゃないけれども、ああ云う様な事もです、本当に合楽を中心に、私が頂くご理解を中心に、神様が働きござると云う事を感ずるでしょうが。
 本当に、どうでもこうでも、おかげを頂いて貰いたい、所謂、貧争病のない、いよいよ本当な貧争病のない世界を、一つ皆さんのお宅に開いて貰ろうて、それを引っ提げて、合楽示現活動に、いよいよ参画して貰いたい。
 そこに、お徳を受けて、いよいよ 真 善 美 輝くばかりの、おかげの世界に住む事が出来る、十二分の徳とは、私は、そう云う様なおかげの事を云うのだと思うです。
 ままよと云う心は、死んでもままよと云う事ですけども、これは、我を取った上にも取らせて頂いて、どうでも良いと云う心の状態に開けて来る時に、初めて心開けて来るのが、所謂、どうでも良い、もう死んでも良いと云う程しの心の状態、そう云う状態が十二分の徳が受けられると仰有るから、一つ十二分の徳を受けて、おかげを頂いて、頂きたいと思います。    どうぞ。